私にすごく勇気があるとは言わないで

Please don’t tell me how brave I am

私にすごく勇気があるとは言わないで

Kevin MD.com

朝の3時、でも私はすっかり目が覚めている。興奮と不安でめまいがする。私は41歳、なのに明日は初めて小学校に入学するかのようだ。でもそうではない。明日は私が外科医として初めて病院に戻る日だ。明日はまた私が抗がん剤治療を受けてから初めて職場に戻る日だ。

2か月前、私は乳がんと診断された。両方の乳房を摘出して再建手術をし、6週間後に仕事に戻った。一つだけ違っていたことは胸に傷跡があり、私の乳房が水風船のように感じられたことだ。だがそうしたことはほかの人はだれも知らなかった。

明日は違う。私は坊主頭だ。それを隠し通すことはもうできないし、みんなの反応が怖い。もう何も起こらなかったふりをすることはできない。同僚、レジデント、医学生、そして何よりも私の患者さんたちは私が人生を変えるような出来事を経験したことを知るのだ。私は病気で自分を判断されたくない、だが私の姿は治療によって変えられてしまっている。

私が一番恐れるのは人々が私に同情をかけることで、私は同情を嫌う。私は手術の仕事に戻って、なんとかこの悪夢が始まる前の生活に戻りたい。

私が一番腹が立つのは勇気があると言われることだ。辞書によれば勇気とは「恐れずに危険や苦痛に立ち向かうことができること」を意味する。勇気があると言われると、私はペテン師であるかのように感じ、だれも目にすることができない偽装をしているかのように感じるのだ。救急隊は勇気がある、軍隊の兵隊も勇気がある。私はない。私はがんが再発して死ぬかもしれないということを、子供を産むことができないかもしれないということを、そして私が注意深く創り上げた将来は、私の体が私を裏切ったためにまったく不確かになってしまったことを恐れていたし、今も恐れている。

私にとって勇気があるということは選択を意味する。消防士は燃えあがっているビルに入ることを勇敢に選択する。私はたまたま燃えている家の中に寝ていて目が覚めたのだが、私の場合は家は私の体で、火事はがんなのだ。私の選択は取り上げられてしまっているし、診断から手術から休職することからエクササイズを禁止されることまで、私は何一つコントロールすることができない。私は私の同僚で友人である他の医師の言いなりになるだけである。

では私は何と呼んでもらいたいのか? 何も、でもそれはありえない。だれもが既に相当気をつかっていて、あなたは病気に打ち勝てるとか、くだらないピンクのあれこれについて話すだけだ。私は乳がんの診断以前からピンクは嫌いだったし、いまも嫌いだ。

私を「レジリエント」と呼ぶことはできるかもしれない。それは「病気や失望やほかの問題を経験した後、直ちに健康、幸せ、強くなることができる」ことを意味する。毎日が、私が望むような生活をすることができるように、一つの一つの後退から立ち直ろうとすることに費やされている。

ですから明日私に会ったら、勇気があるとは言わないでください。強いとも言わないで。ただ会えて嬉しいと言ってから、すぐ仕事を始めましょう。  

(筆者は胸部外科医)

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http://www.kevinmd.com/blog/2017/10/please-dont-tell-brave.html

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