誰も教えてくれないBRCAの突然変異について

エリカ スターリングス

私は、Lineberger癌センターから家まで続くI-40の見慣れた直線道路を運転している。そのとき、母が嘔吐したいと私に車を止めるように頼んだ。

私の母親は、人生で1度だけではなく2度の乳癌を経験した、私がこれまでに知っている中で最も強い女性の1人である。

彼女の乳癌が14年間の寛解後に再発したと聞いたとき、彼女は私の事をずっと慰めた。

その良くないニュースを受けた時、私が一人にならないようにと、私の友達に連絡をとってくれさえした。私の友達が一緒のとき、母はしっかりと振る舞うので、友達からは「あなたのお母さんがガンだなんて信じられない」と言われるほどだった。

しかし、最後の化学療法から戻った今回は、車の中で私と母のたった2人だった。今度だけは、母は弱さを見せていた。

沿道で吐いて車に戻ったあと、彼女は私の眼を直視し、「こんな乳がんを避けるために何かできることがあれば、絶対にしなさい。」と彼女は言った。

彼女が、初めて乳がんと診断されたのは28歳だったので、癌がどんな人生をもたらすのか正しく理解するには若すぎた。かつて活力に溢れた母親が、今ではいつも疲れている。乳腺腫瘤摘出の手術と化学療法と放射線療法を一緒に受けるために、ずっと病院にいたことを知っていた。その年の後半には、医師らはがんが無いと診断したが、乳がんは止まることなく存在し続けた。母はサポートグループと連絡を取り合い、乳癌の友人がより重度なステージを克服したのを目の当たりにした。

乳癌の自己検査を続けて、母は胸の中にしこりを見つけ再発を恐れたが、それらはすべて手術の傷跡であることが判明した。ある時、そのしこりは何か違った。最初の乳がんの診断から14年後、私の母親のがんは別の乳房に出現した。

最初の乳がんの診断の時に母はとても若かったので、医師は遺伝子検査を受けることを提案し、彼女がBRCA2の突然変異を持つことを見つけた。

そのため2007年以降、私は50%の確立でBRCA2の突然変異を持つ可能性があることを知っていた。しかし、色々な理由から、私はBRCA2の突然変異を確認する検査を避けた:

私は自分の人生が安定した状態になるまで待っていた。

それを知る前に、仕事の経歴とロマンチックなパートナーが欲しかった。

この夏、私はついに検査をした。そして、ずっと心の底で疑っていたBRCA2の突然変異を受け継いだことを知った。

医師に最初に乳がんの診断を受けた母の年齢を伝えた時、いつも医者の表情を伺う必要があった:表情はいつも同じで、「あなたは悲しい運命にある。」と言っているようだった。

BRCA2の変異を持つ女性には、一般的に3つの選択肢がある。

1つ目は、6ヶ月ごとにマンモグラムと超音波検査を受けることからなるハイリスクサーベイランスを受けられること。

2つ目に、BRCA突然変異を有する女性は、癌を発症するリスクを潜在的に減らす効果が示されている化学療法薬であるタモキシフェンを服用することができる。

3つ目に、予防的なダブル乳房切除術を受けることができる。これにより、乳癌になるリスクを約80%から約3%に軽減できる。母は、2回目の乳がん発症後にタモキシフェンを服用した。薬は彼女を常に吐き気を催し疲れさせた。その記憶は、薬をオプションとして考えることに思いとどまらせた。そして、医師がこのオプションを勧めたとき、近親者が乳癌を発症した年齢を彼らはベンチマークとして考える。

私の母が非常に若くして乳がんを発症したので、医師は手術を受けることを強く勧めた。

手術は驚くほど抜本的なステップのように感じることができ、私は最初に手術にした。

私は選択肢としてNYUのハイサーベイランスプログラムに登録することをとりあえず考えた。しかし、私の乳房X線写真の結果について気を病むことに6ヵ月を費やすことは私の人生の選択肢では考えられなかった。私は体全体に影響を与える化学療法を受ける必要性を避けるために可能な限り何かをしたいと思った。

そして、幸運にも、私は、ダイレクトインプラントまたはワンステップ乳房再建が適応できた。これは、新しいインプラントで乳房が再建され手術から目覚めることを意味する。

それで、私は手術を今年の12月に予定した。

母がそれらをやり抜いたのを見ていたので、私は覚悟ができていると思った。

私は検査を受ける前に、たくさんの事前調査をした。

しかし、それにもかかわらず、私は検査が始まる前ですら全てのプロセスにしどろもどろになっていることに気づいた。

ニューヨーク市のほぼすべてのものと同様に、遺伝子検査を受ける予約は競争の激しいスポーツの様だ。私は、最初、2013年12月にBRCA遺伝子検査の予約に電話をかけて、最も早く予約できるのが2014年5月であると伝えられた。

私は予約を押さえたが、その後4月に仕事を切り替えた。これは、私が1ヶ月間保険に加入できなくなることを意味した。私が1週間ほどで予約を取り直そうとしたとき、予約は10月まで待つ必要があると言われた。(幸運なことに、私はNYCの乳がん組織のボランティア活動をしていて、執行役員は私が予約出来るように手引きをしてくれた。もし私がコネクションを持っていなかったら、ほぼ1年待っていただろう。)

私が、準備が必要だと思うものは、費用だ。

しかし、医師の予約の必要性は継続した。

BRCA突然変異の保持者は、卵巣癌を発症するリスクが高いため、卵巣癌のリスクを監視するために婦人科腫瘍専門医の診察を受ける必要があった。さらに、BRCA突然変異は、メラノーマのリスクを上昇させるので、皮膚科医と眼科医の受診を受ける必要があった。

医療機関の予約や検査は、そこから雪だるま式に増えた:

私ががんでないことを確認するためのCA-125の血液検査;

私の卵巣を検査するための経膣プローブ;

マンモグラムおよび超音波;

乳房外科医および外科医の診察。

私は、この3ヶ月で、過去3年間よりも多くの医療機関の予約をとった。

健康保険があっても恐ろしいほど、請求書はポストに放り込まれた。

(1つの重要なことは、テスト自体は手ごろな価格だった。私は、BRCAテストの費用が3,000〜5,000ドルの範囲であると聞いていた。それは自己負担の場合は真実だが、突然変異を持っている一親等の親戚がいる場合、多くの保険プランが試験の費用をカバーする。さらに、親が既に突然変異を持っている場合、Myriad Geneticsが突然変異のゲノムをテストしてくれる。私の場合は、母の検査結果がわかっていたので、試験費用は保険前でもわずか300ドルだった。)

しかし、おそらく準備が不可能なものは、恋人との関係に影響を与えるということだ。

このプロセスを始めたとき、私にはボーイフレンドがいた。

私がアンジェリーナ・ジョリーだとすると、彼はブラッド・ピットであるという空想があった。

検査してもらうという私の決断を彼に話したときに、彼は私の心強い支えになってくれた。

しかし、BRCAの突然変異を持っていると診断されると、重圧が何千倍にもなる。検査の結果が分かる日、彼は私と一緒に病院に行くために仕事を休んでくれた。

その時点で私たちの交際は9カ月になっていた。そして医者は検査結果を伝えた後、子どもを授かりたいかどうか、単刀直入に私たちに尋ねた。

「もしそうならば、あなた達はすぐにその準備をしなければいけない。」、医者は言った。

後の診察で産婦人科医はこう言った。

「パートナーがいるのなら、BRCAの突然変異を持っている深刻さを理解する必要がある。」

私が検査を受けていなかったら、私たちはまだ一緒にいたのだろうかと思うことがある。

しかし、もう、私たちは一緒にいない。

先月のある日、私は「僕はもう幸せではない」と言われ、そして私たちは別々の道を選んだ。

私は覚悟していた。なぜなら私は最悪のシナリオを予想してしまうタイプだからである。

そして、この検査結果は、別れることを選ぶのに十分な要因であることを私はわかっていた。

しかし、まだ私はわずかなことでパニックを起こしていた。

私は、一緒にこの状況を乗り越えることができる誰かを見つけるまで、手術を延期することを考えた。けれども、私はこの傷跡と向き合えない人を一生涯のパートナーとして望まないことを思い出した。これは、ロマンチックな愛ではなく、真の理解に基づく異なる種類の愛であることを教えてくれた。

私と一緒に診察へ行き、私と泣いて、私を励ましてくれたのは友人である。

現在、手術の準備をするにつれて、私は子供を産むかどうかに関わらず将来のことを迷っている。

医師は、私の卵巣を35から38歳の間に数ポイント摘出することを勧めた:

乳癌とは異なり、現代の医療では簡単に卵巣癌をとらえることはできない。

その決断まで6、7年しか猶予がない上に独身だ。卵子を凍結するべきかどうかわからない。

私はいつか子供が欲しと常に思っていた。しかし、卵子の凍結保存はおよそ10,000から12,000ドルの費用に加え、毎年の維持費が1,000ドルかかることを知り、私は思い悩んでいる。

(私の産婦人科医は、卵子を凍結させると、胚をスクリーニングしてBRCA2突然変異が陽性であるかどうかを調べることができると説明した。)

私は、今のところこの問題を心の底にしまい込んでいる。

私が実際のところまだ病気ではないので、私にはBRCA突然変異があると人々に話すこと戸惑いがある:

私は将来、癌になるリスクが非常に高い。

しかし、今は実際に病気になっていないので、癌に対して対処しようとする場合、私は悩んでいることについて気がとがめる。

とにかく、私はいつも友人の間で「強くて逞しい」という評判を得ていた。友人が自分の事を心配していることを知っていれば、心配する必要がないようにしようとする。

時には、初心者レベルの心理学で教授が教えるようなことを考える:

「悲しみは他の感情と同じ。
あまりにも多くの幸福だけを経験しなさいとはだれも決して言わない。
他の感情と同じように悲しみも経験しなくてはならない。」

だから、私は自分が必要なときに泣くようにした。

私はこの数ヶ月間に何度か泣いた。

私は新しい体が不自然に感じることを心配して泣いた。
私は卵巣を切除する前に結婚しておらず、赤ちゃんできないという恐怖から泣いた。
NYUの信じられな程高い請求書が私の郵便箱に届いて泣いた。

私は泣いて崩壊した後、リビングルームに立って、自分の胸とボーイフレンドがなぜ私から離れる運命だったのかこの世に尋ねた。

私はこれらの瞬間が私の強さを否定しないという事実にたどり着いた。

これらは、単に私が人間であることを意味する。

この経験は、私たちがいつも厳密に自分の生き方をコントロールできるわけではないことを痛感させるものだった。

4年前に、弁護士としてキャリアをスタートするためにニューヨークに移ったとき、29歳になるころには乳房インプラントを選ぶ代わりに結婚式の計画をしていると思っていた。

私は訴訟担当者としてキャリアを早く積みたいと考え、4月に元の会社に戻ったが、今は3週間の休暇をとっている(医師の予定に失われた時間 )。

私は一度にいくつもの情報を収集するのは得意ではなく、それは劇的な状況だった。

診断後、BRCA突然変異に関する話をオンラインで検索しましたが、有色人種の女性が書いたものを見つけることができなかった。

私は、アフリカ系アメリカ人の女性が遺伝学的検査やカウンセリングを受けるために財政的資源(保険適用範囲と仕事の離職への支援を含む)にアクセスできる可能性が低いと思った。しかし、シカゴ大学の2013年の研究では、乳がんと診断されたアフリカ系アメリカ人女性の研究参加者のほぼ10%がBRCA1またはBRCA2変異を持っている事がわかっている。これを読んでいるアフリカ系アメリカ人の女性で、乳がんの家族歴がある場合(特に45歳以前に診断された親戚の場合)、遺伝カウンセラーと相談して、検査を受けるべきかどうかを評価することをお勧めする。

すでに突然変異について陽性だとわかっている一親等の親族を抱えている場合、ほとんどの保険プランは検査費用を負担する。

私がボランティアをしているBreast Treatment Task Forceを含めて、陽性であれば、リスクの高いサーベイランスの費用を補うための組織もある。

この数ヶ月間は難しいこともあったが、私は自分の健康を選択する能力があると感じている。

だから、私はこの記事を書くことを決めた。その目的は、BRCAの陽性の人のことを、少し身近に感じ、少しだけ理解してほしいからだ。

また、突然変異の家族歴を持っていることを知っている人は、テストを受け、その選択肢を評価するよう動機付けられるかもしれない。

そうなれば、これは全て私にとって価値のあることである。

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この文章で腑に落ちないところがありましたら、下記の原文をご参照ください。

http://jezebel.com/what-no-one-tells-you-about-your-brca-mutation-1647240915