平日さんぽ:自分の人生は確率で決まるのですか?

2年前、遺伝子検査で乳がんにかかる確率が87%で両方の乳房を切除、そして、今年、卵巣がんにかかる確率50%で卵巣と卵管切除したアンジーこと、アンジェリーナ・ジョリー。

2年前といえば、私は自分が乳がんだとは知らずに生きており、その選択を、”まぁ、90%近い確率で乳がんになるって言われたら、(乳房)を取ってもおかしくないよなぁ。”と思っていた。”祖母、母、叔母をがんで亡くしてるなら、そりゃぁ、がんに罹る可能性高いから怖いだろう”と、彼女の選択に理解を示していた。

そして、去年の大晦日、自分が乳がんと知らされ、2月2日に手術し、抗ガン治療中の自分となり、彼女の選択に全く逆の思いが湧く自分を発見する。

私は彼女とは逆で、乳がんになる要素がとても少なかった。

遺伝子的(ファミリーヒストリー)にも、また生活習慣的(タバコ吸わない、アルコールは程々、適度な運動、良質な睡眠等)にも乳がんに罹る確率はとても低いはずだった。

だけど、乳がんになった。

その上、最初のがんの種類を特定する腫瘍検査で、”ホルモン受容体が高い場合、約80%はHER2は陰性”という中、私は陽性になった。

HER2というのは、増殖率の高い(つまり悪性度の高い)がんである。その為、抗がん剤治療が必要となった。自分が残り20%の確率に入ったからだ。

トドメは、術中のセンチネルリンパ検査でリンパ転移が陰性だったのに、術後の腫瘍検査で陽性が出たことだ。

術中のセンチネルリンパ検査で陰性の場合、90−95%は陰性のはずなのに、私は残り10%に入ってしまった。

その結果を知らされた時、『私の場合、生存率80%って言われても、きっと残り20%に入ってしまうだろう。』と思った。

治療する意味を感じなくなる自分がいた。

もがき苦しむ自分の心情を乳がんサバイバー10年以上の友人に漏らした。同じ道を辿った彼女は、こう答えた。

「私はね、確率とかそんなの関係ないと思うようになったの。これをやったら再発率は何パーセントに下がるとか、生存率は何パーセントに上がるとかさ、それって統計の結果ってことでしょう?それが自分に当てはまるかどうかなんて、分からないじゃない。自分が少ない方に入る可能性だってあるんだしさ。結局は、生きるか、死ぬかしかないのよ。だったら、自分が納得する選択をして、生きる。生きてやるのよ。とにかく、生きるって気持ちが大切だと思うの。祐子さん、大丈夫。私だって出来たんだから、マラソン走れる祐子さんなら絶対できるから。乗り越えられるから。」

この言葉に救われた。治療に取り組む決心がついた。そして、確率の罠に嵌っていた自分を認識した。

人は「確率80%ですよ。」と言われたら、自分を多数の数字に当てはめることが多い。だから、アンジェリーナ・ジョリーも両乳房切除の選択をしたのだ。彼女は、「確率87%=必ず乳がんになる」と思い込んだのだ。そして、「乳がんになる=死」という数式が彼女の心に恐怖を植えたのだろう。

だけど、乳がんに必ずなるとは限らないのだ。彼女だって、残りの13%に入る可能性だってあった。卵巣がんに至っては半分の確率で彼女はならない方に入っていたかもしれないのだ。

なのに彼女は、健康な臓器を摘出した。

昨日、3年前に乳がんになった友人とランチをした。アンジェリーナ・ジョリーの選択が話題になり、私たちは同じ答えを持っていた。

「(がんに)なってもいないのに取るなんて、私たちには考えられないよね。」

友人は疑問を口にする。

「大体さ、アンジェリーナ・ジョリーって、”Fighting Cancer(がんと闘う)”とか言っているけど、がんになってないじゃん。がんとなんか闘ってないよね。私、ずっと彼女の選択にモヤモヤしたものを感じていたのよね。」

私はがんになる前の自分を思い出す。私もアンジェリーナ・ジョリーと同じ立場だったら、(金銭的に余裕があれば)がんになる前に切除する選択をするかもしれない。そして、それは勇気ある選択だと思っていたことを。

でも、今の私は違う。

「それって”傲慢”だって私たちは感じるんじゃないかな?そんな選択をするって。がんにもなっていない健康な臓器を取るなんて。」

私たち、乳がんになった女性は、取るしか選択がなかったのだ。取らずに済むなら取りたくなかった、と思っている。

片方が乳がんになり、その場合、再発予防で両方取る選択はある。でも、それはアンジェリーナ・ジョリーのケースとはまるで違う。

アンジェリーナ・ジョリーはは数ヶ月毎に検査をすることで、早期発見が可能だったはずだ。そして、早期治療をすれば日常生活に支障ない人生を送れたはずだ。なのに彼女は高確率という数字で、健康な臓器摘出を選んだのだ。

彼女は、”がんにならない”可能性だってあったのに。

彼女をそこまで追い込んだ理由、それは、”確率”という数字だ。彼女は”確率”信望者であり、そして、ある意味、確率の犠牲者なのではないだろうか。

人生は確率で決まるのか?

冗談じゃない。自分の人生を確率なんて数字で決められてたまるか。

あるとしたら、0か1だ。生か死のふたつしかない。

私は今、生きている。

確率なんて、クソ食らえだ。

どう生きるかは、私が決める。