乳房再建手術を終えて

乳房再建手術。乳がん治療の総仕上げ、と言ったら大げさであろうか。
手術が終わり帰宅して養生しつつ、ベッドの上でも洗面所でも、あれから色々と考えた。乳房再建はいったいなんのためだったか、と。
私の場合、胸部の血管が最大で1ミリという直径で細く、血管同士をつなぐ手術ができなかったため、希望していた自家組織を使用しての再建、つまりディープフラップ(DEIP FLAP)を諦めざるを得なかった。結局、医師が提案してくれていた“第二のオプション”=かなり古典的な方法の「有茎腹直筋皮弁法」は拒絶、結果シリコンインプラントになった。
麻酔から目覚めた時、事態を飲み込みつつ、久しぶりに夫と看護師を前に声を上げて泣いた。悔しい。その後もさめざめと泣く状態が続き、気がつけば目が腫れぼったくなる始末であった。医師曰く、放射線治療の影響もたぶんあるだろうが、それ以上に全摘出する際、大きく切開した切り口が何かしら作用しているとのこと。もともと血管が細いタイプでもあったようで、血管を探るために、第三肋骨間の軟骨も摘出する事態に。術後胸部の付け根がひどく痛み、咳やくしゃみをする度、死ぬかと思ったのはそのためだった。
言う事を聞いてくれない自分の身体…。放射線治療がいけなかったのか?それともそもそもガンができた箇所がいけなかったのか?原因を考えながらも、脳ミソのもう片側では、シリコンインプラントの利点を列挙し始めていた。「問題がなければ取り替えなくてもいいって言ってたじゃないか」「“お肉が足りないから健側より小さくなる” こともなかった」「お腹も切らずに済み、傷口も最小限で回復も早いはずだ」「なにより、みんなやっている、私だけではない」… とはいえ、自分の胸を見る勇気はまだなかった。術後3日めにして初めて、例の“マジックテープ”ブラを外して、自分の胸を鏡で見た。息子はあどけなく、そして無邪気にこう言う。「マミーのオッパイ、なんでまだ傷ついているの?もうすぐパフパフできる?柔らかいオッパイになったぁ?」エキスパンダーを入れて1年3ヶ月(考えてみれば妊娠より長い)、パンパンに膨れていた乳房ともおさらばなのだ、祝杯をあげてもいいはずなのに、心が晴れない。健側とのバランスは?膨らみは?いずれの点も、あまり希望通りとは言えない。しかも私の場合、放射線治療後の皮膚の黒ずみがひどく、健側とは異質なものにしか映らない。自分にしても珍しくふさぎ込む。ポジティブになど考えられない。今後、健側とバランスがうまく取れている作り物の乳房を、イメージできないでいるのだ。そしてまた泣く。そして術後一週間以上経過しても、このちょっと出来損ないのオッパイとこの先どう向き合っていこうかと考えていると、落ち込みもひどく、しばらくはあまり人と話したくない状態が続いた。

そんな折、仕事で付き合いもある13年来の友人が、たまたま日本からNYに来て滞在中であり、そんな私の様子を察してか、半ばお仕掛け状態で自宅にやってきた。「一人になりたいのに…」と思いつつも、「良かれと思って来てくれているのだ、断っては申し訳ない」とも思う。彼女は仕事上とはいえ、私の事を客観的に見てくれる友人の一人でもある。そんな彼女が私についてこう言った。「だって、完璧主義者よね。人にも厳しいけど、自分にも厳しいところがあるから。」たったそのひと言で不思議なことに、なんだか目の前がサーっと開けた気がした。
そう、私は完璧主義者なのだろう。自分では思ってはいないが、人から見ればそうに違いない。でも別に、完璧主義じゃなくても人は生きていけるのだ。自分に完璧を求めるのは他でもない自分なのだ。夫も息子も、義母だって、別に私が完璧じゃなくても許してくれるだろう。私は何を自分に求めていたんだろう。この後に及んで何を期待していたんだろう。思えば、乳房再建手術など、乳がん治療の集大成でもなんでもない、いわば「おまけ」、よく言えば「ご褒美」なのだ。私は「乳がん」になった。もう「乳がん」になる前の自分などではないのだ。それを、元に戻れるとでも、ましてや「今までの事はなかったことにしてもらう」などと期待していたのだろうか。そんな訳には行かない。私はもう「こっち側」の人間なのだ。これから先10年、私が注意深く経過観察しなくてはならないのは胸のシリコンが上手く収まっているか、ではなくて、乳がんの再発やそれに伴う転移の可能性なのだ。胸は…、授乳という役目も終わった、息子も夫も許してくれるだろう。そう、息子と温泉に入れる程度でいい、のだ。
妥協ではなく、新しい自分への期待を込めてこう思うことにした。そうして見慣れてみれば、シリコンインプラントの乳房だって、決して悪くはない。美乳とまでは行かなくても、今の私にはきっと「身の丈に合った胸」に違いない。
日本でもアメリカでも、乳房再建手術をする病院は、決して失敗例を見せることはない。私の乳房再建が失敗ではないとは思いたいが、やはり一人ずつ乳がんのタイプが違えば治療法も違い、その後の乳房再建手術に至っても、皮膚の状態、血管の状態、胸の大きさ、垂れ具合など、みな様々だ。私のように予期せぬ自体になってしまうこともあるだろう。比較的簡単と言われるインプラントの手術でさえ受けられない人、合併症で断念せざるを得ない人もいるであろう。そのどんなケースにも医師は、その都度何がベストか判断し処置をしてくれる。私の乳房再建手術も、きっと主治医が判断した方法がベストだったに違いない。そう信じることにしよう。そして繰り返すが、乳房再建手術はあくまでも「乳がん」と診断された私たちへのボーナスなのだ。最終的な見解はなんと言っても「がん」を根治することである。「喉元過ぎればなんとやら」人は忘れやすい。大事なのは、自分が「乳がん」になったことを忘れないことである。
今はただただ、私が「乳がん」と診断されてから今まで関わってくれた多くの医療従事者、サポートをしてくれた家族、親戚、友人たちに改めて感謝の気持ちを示したいと思うばかりである。そしていつの日か「あ〜、そんなこともあったな」などと思える穏やかな日々が来ることを、想像することに専念しようと思う。

ショーンママ について

3歳児のママです。卒乳1年後の2014年3月乳がんと診断され、4月下旬に左胸全摘出手術を受け、6月初旬から抗がん剤治療開始。抗がん剤治療後は放射線治療とホルモン治療予定でフルセットを経験予定です。