乳がん後に私達夫婦の絆はさらに強くなった

My relationship got stronger after breast cancer 乳がん後に私達夫婦の絆はさらに強くなった

By BklynCatwoman

 乳がん体験者は人生がはっきりと2つに分かれることをだれよりもよく知っている―がん以前と以後とである。あなたに変化が起これば、夫や恋人などのパートナーとの関係も、寝室のうちと外とで、変わる。変わらないなんてことはありえない。

 がんと診断されると、絆の強い関係はより強くなり、弱い関係はより弱くなるか、まったく崩れてしまうとよく言われる。手術や治療、不安、さまざまな選択、医療システムに手探りで進むなどの重なるストレスがあなたの主要関心事となる。いわばがんが先でパートナーは後回しということになる。そうであるべきなのだ。なんといってもあなたは人生を変えるような決断に迫られているのだから。

 2013年に私が左乳房にステージ1の進行性がんおよび非浸潤性乳管がんと診断されたとき、私と夫は21年間のつきあいで、結婚して18年になっていた。共に私達は人並みの日々の苦労のほかに両親の死と9/11のテロを切り抜けてきた―実に幸運なことに消防士の夫はその晩無事に帰宅した。大勢の友人や隣人は帰らなかった。しかし、がんはまったく別の難題だった。

 夫のピーターは常に私達夫婦の土台だった、温かく優しくはないが、強くて、しっかりして頼りがいがあった。がんの診断を受けた後、私が崩れ落ちてしまうんではないかと不安だったとき、彼は思慮深く「これは君の9/11だよ。君の人生で最悪の事態が起こったんだ。がんばって乗り越えようと決心するんだよ」と言ってくれた。そして私はそうした。私達二人はそうした。いっしょに。

 私の外科医が「乳がんです」という恐ろしい言葉を発した瞬間をいま思い出してみると、ピーターはだれかに顔を平手打ちされたかのように見えた。私がどんな風に見えたかは想像もできない。しかし、私達はそれを乗り越えた。なんとか切り抜けた。二人が離れ離れでいるよりもいっしょにいる方が強いということを知った。

 残念ながら多くのパートナーの関係は生活にがんのストレスが加わると亀裂が入る。だれが夕食を料理するの、だれが洗濯をするの、子供を学校に迎えに行くの、というお決まりの日課だけではない。次の抗がん剤治療にはどうやって行ったらいいのかしら、シャワーを浴びて着替えをするには疲れ過ぎているかしら、が関心事となる。

 SHAREの会員チアラ・ダゴスティーノ(Chiara D’Agostino)は彼女のプログ「野獣から美へ」

(Beauty Through Beast)で、彼女の外科医ミッシェル・ブラックウッド(Michele Blackwood)はがんと診断されると50パーセントのカップルが別れると言ったという。なぜだろう?「病めるときも、健やかなときも」と結婚式で誓いをするのにもかかわらず、病気の冷酷な現実はカップルに壊滅的な影響を与えうる。乳がんは明らかに相手との契約から外れている。

 2009年の医学雑誌『がん』(Cancer)に載った研究では、既婚者の女性が重病と診断された場合、同様な診断を受けた男性よりも6倍も離婚、別居する率が高い。離婚率は重病の女性では21パーセント、男性では3パーセントだった。

 人々はがんに関する恐ろしい話をするのが好きだが、がんの診断後離別するカップルの話はハッフィントンポスト(Huffington Post)、CNNやトゥデイ(Today)などのメディアでもよく話題に取り上げられている。もちろん、私もピーターとの関係が乳がん診断の後痛手をこうむるのではないかと心配だった。しかし、私達はそれを防ごうと一生懸命努力した。私達はほかの問題に対するようにがんにも直面した、すなわち一日一日をなんとか生き、ユーモアで乗り越えたのだ。

 ピーターと私は、20年以上も夫婦として暮らしてきたが、いつも親しい性関係を続けていた。(結婚していてセックスしないなんて意味ないでしょ!)特に手術の後、私は自分がまだ女性であると感じる必要があった。三週間も脇腹に排膿管をつけていたのだが(組織拡張器によってひどい感染症を起こし、後に緊急手術で取り除かなければならなかった)、それでも私は夫と性関係を持つ必要を感じた。おそらく私は自分がまだ夫に求められる女性であることを確認したかったのかもしれない。幸運なことに、夫は乗り気だった。排膿管を工夫して押しのけて、うまくできた。

 それでも、ピーターの手が私の胸の平たい方をかすめたとき、私はすくんだ。痛かったからではない―私の新しい体を受け入れようとしてである。

 抗がん剤治療で髪が全部抜けてしまったときも、ピーターの情熱が冷めることはなかった。私はSFパンクロック・ガールみたいだと言った。いい意味で。坊主頭でも私はそれをプラスに考えようとした。たとえば、体毛はどこにもないとか。絹のようにスムースで、カミソリ負けもない。私は髪を失ったことを積極的に受け入れようとした。そして事実そうした。

 おそらく態度の問題、ものの見方によるのかもしれない。しかし、ときにはその見方も歪むことがある。たとえば、家では私はピーターが片一方の乳房がないことを見ないように、あるいは胸を横切っている傷跡をちっらと見ることがないように一生懸命努力した。工夫して服の布を折り重ね、注意深く下着を選んだ。ところがある日彼は私の傷跡はそんなに悪くないと言った。

 「いつ見たの?」と、自分の傷を隠そうとした英雄的な努力が失敗したことにがっかりして、聞いた。「診察室で、医者が診察したときさ」とピーターは言った。あー、そのことを忘れていた。なぜか私のこじれた理屈では診察室と寝室は別だった。しかし、ピーターは私の傷跡を見ても、どうということはなかった。彼の愛あふれた心の中で、私は変わらず“私”だった。

 私の乳がんの診断からほぼ4年たった。ピーターが私の全摘手術の傷跡(と今はそこを飾る桜の花の刺青)を優しくなでても、私はもうすくむことはない。毎日が旅路で、ときには苦闘である、しかし私達は立っている。しっかりと。

 私のほかのカップルへのアドバイスは、愛し合っていることを忘れないで、何があっても。愛があれば、あとは自ずからうまくいく、ということである。

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https://healthunlocked.com/share-breast-cancer-support/posts/135015785/my-relationship-got-stronger-after-breast-cancer