ブロディ—愛子のジャピオン/35歳だった 

日本語プログラムの代表をする私が、今までどの様なことをして来たのかを良く聞かれます。

2014年の4月にジャピオンの”35歳だった”に掲載された、私のインタビューを読んでいただくのが手っ取り早くご説明できるのではと思いましたので、文章と記事の写真をここに掲載させていただきます。

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35歳だった

タイトル: 昔の自分と歩む

SHARE(シェア)日本語サポート部門代表

ブロディー愛子

<本文>

 乳がんと卵巣がん患者支援非営利団体の「SHARE(シェア)」は、1976年にニューヨーク市で設立された。「患者同士、支え合えることは多い」と医師が呼びかけ、12人の乳がん患者が集まったのが始まりだ。

 ブロディー愛子は、シェアの日本語サポート部門立ち上げに携わり、昨年7月、同部門の初代代表に就任した。現在は日本人患者のためのサポートグループ(患者会)を月2回開催するほか、乳がんに関するセミナーを企画し、患者や介護者からの相談にも応じている。こういった活動は、すべてボランティアだ。

 35歳のとき、軽い気持ちでマンモグラフィー検査を初めて受けた。その10年後、乳がんと診断された。しかし、「私は大丈夫、と自分に言い聞かせ、治療中も仕事や家族を優先し、気持ちの中で乳がん患者であることを封印した」。

 シェアの活動を通して闘病中の人に向き合う日々は、そのころの自分を見るようであり、一緒に歩いているようでもあるという。

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 「子供のころから、面倒見が良いタイプ」だった。物心ついたときには高齢の父は病気がちで、大学卒業直前の8カ月は、入院中の父に付き添った。卒業後は母の采配で、ニューヨークで暮らす姉のもとへ行った。第3子を妊娠中の姉に代わり、重度身体障害児の甥を介護するのが目的だった。

 姉が無事出産後は独立し、日系銀行やレストランで働いて資金を作り、学校に行きテキスタイル(布地)デザインを勉強した。恩師の目にとまり、大手寝具ブランドに就職。寝具やインテリアに使われる布地のデザインを手掛けた。

 3年後、出産を機に退社すると、顧客に請われてフリーランスとして自宅で仕事を開始。商売は繁盛し、会社を設立したのが35歳だった。大手ブランドの仕事が次々舞い込み、スタッフを増員して回転させた。娘は4歳と手のかかる年齢だったが、夫やベビーシッターと育児を分担した。

 「35歳は、何でもできると思える勢いのある年。結構うまくやっていた」

 しかし、「多忙すぎて娘の成長をみていない」ことに気がついた。病気が見つかり、体もつらい。デザインの世界にもコンピュータ化の波が押し寄せ、仕事も転換期を迎えていた。そこで、会社設立から5年で事業を撤収。スタッフの再就職先の手配に奔走し、体を壊してしまった。

 「限度を知らずに、頑張りすぎちゃう。だから病気になるんだよね」 

 それを思い知らされたのが、2001年の同時多発テロ直前に受けた乳がん診断だったという。同時期に、日本で療養中だった母の病態が悪化し、母はブロディーの手術中に亡くなった。ブロディーは「傷口にガーゼをつけたまま」、日本の葬式に参列した。

 「精神的にまいっていましたね。だから、自分を乳がん患者とは認めず、何ごともなかったかのように振る舞った。医師との治療方針の話し合いも、主人に任せきり。仕事ができているうちは大丈夫と言い聞かせ、とにかく仕事を頑張った」

 その後何年も経ってから、乳がん患者支援団体の活動に参加した。そこで会った乳がん患者たちは、昔の闘病中の自分だった。自分の体や病気について、ほとんど何も知らないままだったことも悔やまれたという。

 「乳がんについて一から勉強し、闘病中の人たちの助けになりたい」

 その思いが、現在の活動につながっている。

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 「患者さんにとって『使い勝手の良いツール(道具)』になる」と腹を括った。乳がんの情報収集や悩み事相談など、患者に役立つことは何でもするつもりだ。

 治療中も仕事をしている人を見ると、自分のことを思い出すという。

 「仕事を続けるのは素晴らしいことですが、たまには甘えて欲しい。独りで頑張らないで、と伝えたい」

=敬称略(大村智子)

<経歴>

ぶろでぃー・あいこ

1956年栃木県生まれ。東京文化服装学園卒業後、77年に来米し、甥の介護をしながら商業美術学校へ。その後、School of visual Artsのテキスタイル科を経て、84年寝具大手WestPoint Pepperell(当時)入社。87年に退社後は、テキスタイルデザイナー、寝具スタイリスト、ショールームデザイナー、ウェディングフローリスト、プリザーブドフラワー講師など多方面で活動。ボランティア歴も長く、ここ2年はアメリカ人に日本語を教えている。乳がん患者と介護者支援団体「NEST」の元代表。

35歳だった年のできごと」

1991

・ 東京都庁が千代田区丸の内から新宿区西新宿へ移転

・ 日本初の衛星放送局WOWOWが本放送開始

・ 多国籍軍がイラク空爆開始、湾岸戦争始まる。

・ スロベニアとクロアチア、ユーゴスラビアから独立宣言

・ 東京都港区にジュリアナ東京がオープン、大人気に